「阿波藍」と「御膳みそ」。徳島県が誇る伝統産業の間には一見、あまり関連がなさそうに見えますが実は深いつながりがあるのです。吉野川の下流域は、肥沃な土地で大豆が栽培され、鳴門では塩も豊富に取れたため 古くからみそ造りが行われていました。やがて阿波藍の栽培が盛んになると、その間作として良質な大豆「阿波白目大豆」が作られはじめ、この大豆に米麹と塩などを加えて熟成させたみそが出来上がっていきました。阿波国の領主だった蜂須賀公の御膳に供したところたいそう気に入られ、みそ造りが奨励されるようになりました。「御膳みそ」はやがて関西方面への出荷も増え、藍染と共に地元を支える一大産業に発展していきました。この地に「阿波藍」があったからこそ「御膳みそ」が生まれたのです。

「阿波藍」と「御膳みそ」。
徳島県が誇る伝統産業の間には一見、あまり関連がなさそうに見えますが、
実は深いつながりがあるのです。
吉野川の下流域は、肥沃な土地で大豆が栽培され、鳴門では塩も豊富に取れたため、
古くからみそ造りが行われていました。
やがて阿波藍の栽培が盛んになると、その間作として良質な大豆「阿波白目大豆」が作られはじめ、
この大豆に米麹と塩などを加えて熟成させたみそが出来上がっていきました。
阿波国の領主だった蜂須賀公の御膳に供したところたいそう気に入られ、
みそ造りが奨励されるようになりました。
「御膳みそ」はやがて関西方面への出荷も増え、
藍染と共に地元を支える一大産業に発展していきました。
この地に「阿波藍」があったからこそ「御膳みそ」が生まれたのです。